解離性同一性障害と生きていく

結婚してから1年2ヵ月、解離の症状は結婚当初はあったものの、その後はずっと落ち着いていた。人格も出なかったし、多少ふわふわする感じとかぼーっとすることはあっても大丈夫だった。私は夫を愛しているから、できることなら人格ではなく「ちゃんとした私」で結婚生活を送りたい。そう思っていたので、解離の症状が出なかった期間は本当に穏やかで幸せな時間だった。

 

ところが、恐れていた解離性同一性障害の症状が再燃した。1週間前からPTSDの症状が強く出るようになった。私は中学時代、信頼していた先生に車に乗せられて身体をまさぐられたことがある。あることがきっかけでその記憶が強くフラッシュバックして、それと同時にどんどん崩れていってしまった。

最初はフリーズ。普通に過ごしていたはずなのに、気づいたら体が動かなくなって、記憶が飛んで、気づいたら1時間くらい経っている。心配そうな夫の顔。ずっと握られていたであろう手。「ちぬちゃん、フリーズしちゃってたんだよ」と言われてようやく状況を理解した。

次に解離。ふわふわした感覚が続いて、脳内がマーブル色に溶けていく感覚があって、だんだん自分が自分じゃなくなる感じになって、そして子供になる。解離の時の記憶の有無はまちまちで、子供の私をずっと遠くのほうから大人の私が眺めている感覚の時は、なんとなく解離している間の記憶も残っている。子供の私は夫におんぶをせがみ、高い高いをしてもらい、ベッドで飛び跳ねて叱られて大声で泣く。でも頭をなでられてすぐ機嫌がよくなり、ほっぺにちゅーしてもらってニコニコしている。そうこうしているうちにまた脳内がマーブル色に溶けて、だんだん自分が戻ってくる。夫にごめんねと泣きながら謝る。「大丈夫だよ、ちぬちゃんが戻ってきてよかった」と夫は笑う。

申し訳ない思いで胸が張り裂けそうになる。私がいなくなれば夫は幸せなんじゃないかと思い始める。おかしくなってしまったことに対する怒りで剃刀を手にしたけど、夫の顔を思い浮かべたら切れなかった。それならば飛び降りでもしようかと窓を開けてみたけれど、アパートの2階から飛び降りても何も変わらないのはわかっていたのでそっと窓を閉めた。悪化する希死念慮。薬を飲んでも消えない不安感。限界だと思い、夫に病院に電話をして診察を早めてもらえるよう頼んだ。

 

病院には、夫が時間休をもらって一緒についてきてくれた。ちょうど主治医が変わるタイミングだったこともあり、新しい先生はどんな人なんだろうという不安もあって、ずっとそわそわ落ち着かなかった。

名前を呼ばれて診察室に入る。優しそうな雰囲気の50代くらいの男性医師だった。これまでの病歴を聞かれる。幼少期から大学進学前まで虐待を受けていたこと、小学生の頃からパニック発作に悩まされていたこと、高校あたりから境界性パーソナリティー障害の症状が出てリストカットを始めたこと、病院に通わせてくれと懇願したけれど親が病院に通わせてくれず、大学進学で一人暮らしを始めたのを機にやっと治療を始められたこと。何度も自殺未遂をしたこと。医療保護入院にもなったこと。未遂前にTwitterに「今から死ぬ」とツイートしたのがきっかけで、誰かに通報されて警察に保護されて、そのせいで長年の夢だった仕事をたったの1年でクビになったこと。「話したくないことは話さなくていいよ」と先生には言われたが、あらかた話した。話し終わったあたりから、だんだんぼーっとしてきて、解離が始まって、子供の私になってしまった。

「ちぬちゃん?大丈夫?」と夫に言われる。「あのねえ、混ざってる」と答える。「今は子供のちぬさんは何パーセントくらいかな?」と先生。「わかんなーい」と答える。「この状態だと9割くらいだと思います」と夫が言う。

私が使い物にならなくなってしまったので、診察は先生の質問に夫が答える形で進んでいった。あまり覚えていないが、途中リストカットの話になったとき、子供の私が「じゃーん」といって腕を見せた。先生に「うわっ、これはすごいな」と言われて喜んでいたら、夫が「先生はね、褒めてないんだよ、びっくりしたんだよ」と言った。

夫が「解離するようになってからすごく辛いみたいで…」という話をし始めたとき、子供の私が「死にたいの、わーん」と泣いた。「死んじゃったら、こんなに優しくて理解のある旦那さんにも二度と会えなくなるんだよ?」と先生。「やだー、でも死にたいー」と泣く子供の私。「どうして死にたいの?」と先生。子供の私は「あのね、だってね、おかしくなっちゃったから、いっぱい迷惑かけちゃって、これ以上迷惑かけるくらいなら死んじゃいたいのー」と泣く。夫が「ちぬちゃん、前も言ったけど、ちぬちゃんが死んじゃうほうが迷惑だよ」というと、先生は笑って「大変だ、ちぬさん!旦那さんは死なれたほうが迷惑だって!」と言った。子供の私もけらけら笑った。

 

「ちぬさん、今から大事なことを言うけどね、今の子供のちぬさんも、症状が出てないときの大人のちぬさんも、どっちもちぬさんなんだよ。だから何も怖いことなんてないんだよ」と言われた。私は私。解離に怯え、記憶がなくなるたびに泣き、自分が得体のしれない何かに感じてしまっていた私の心に、先生の言葉がすとんとおさまった。

診察室を出るときに、先生が「これで5回目くらいになると思うけど、死んじゃったらもう旦那さんに会えないんだからね!だから死んじゃだめだよ!」と笑いながら言った。

 

会計を終えて病院を出るころには、子供の私から大人の私に戻っていた。病院を出て、夫と手を繋いだ。「何かおいしい飲み物でも飲もうか」と言われて、コンビニでドリンクを買った。「ちぬちゃん、いつもみたいに写真撮ろっか」と言われて、写真を撮った。

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 一口飲んだあと、夫が「ちぬちゃん、今日は本当に頑張ったね」と言った。その言葉を聞いたら、なんだかこみ上げるものがあって、また泣いてしまった。