あの日から10年

2011年3月11日 午後2時46分

 

あの日から10年。コロナ禍の中で10年を迎えることになろうとは、思いもよらなかったけれど。

「忘れてはいけない、風化させてはいけない」という気持ちは強い。しかし、その一方で、未だに津波の映像も原発事故の映像も見れず、東電関連のニュースが流れる度にため息をつき、「あの日のことを忘れてしまいたい」と思うことも、ないわけではない。

 

震災当時、やっと電気が通じるようになった避難所のテレビに映し出された津波の映像。見知った町の変わり果てた姿。連絡がつかない家族と友人。段ボールの切れ端を集めて、避難所の隅っこで肩を寄せ合って過ごした。原発事故を知って、目の前が真っ暗になったのを覚えている。風評被害が悔しくて悔しくて仕方なかった。家族と連絡がついたのは、震災から3日後のことだった。

 

昨年春に結婚した夫は、元々は原発のほど近くに住んでいた。当時高校1年生だった彼は、被災した翌日、何の説明もなく突然マイクロバスに乗せられ、故郷を追い出された。1年以上福島県内を転々とし、家族全員で移り住んだ地で生活を立て直す中で、私と出会った。未だに故郷は帰還困難区域で、戻ることはできない。

 

震災がなければ、出会うことはなかったのかもしれない。

 

夫に限らず、震災がなければ出会うことはなかったであろう人がたくさんいる。そのことを考えると、どうしようもなく複雑な気持ちになる。同じような人が、きっと日本中にいるのだろう。この10年間、震災を通して、きっとそれまで交わることがないと思われていたたくさんの人生が交錯したのだ。そう考えると、やはりなんとも言えない気持ちになる。言語化できない感情。

 

10年経って分かることは、ただ、これからも生きていくだけ。生かされていることに感謝して、生きていくことしかできない。震災を知らない世代も増えている。その中で、震災の記憶を繋いでいくこと。11年目も、12年目も、これからもずっと。10年経って「区切り」のようになってしまうのが、一番怖いと思っている。