あの日の未来が

最近フラッシュバックが激しい。

過去に経験したあれやこれやがバーーーっと押し寄せてきて身体が固まる。息が苦しくなる。音が頭の中でわんわん鳴り響いて、処理できなくなる。そうなるともうどうしようもない。薬を飲んで祈るしかない。

病気のせいで過去の記憶が色々と抜け落ちている私だけれど、不本意にもフラッシュバックのおかげで記憶の補完がなされていく。
でも、どれもこれも忘れたままで良かったと思うことばかり。

「知らない方が良かったと思うことがこの世にある」とミスチルが歌っていたけれど、本当にその通りだと思う。
記憶が抜けるには、それ相応の理由がある。
じゃあ、記憶が戻ることには何か理由があるのだろうか。

大きな音が怖い。大きな声が怖い。人が手を振り上げるのが怖い。大丈夫だと分かっていても身体が先に反応してしまう。こんな風になりたくなかった。

 

今まで通ってきた道に無意味なことなどひとつもないということはちゃんと分かってる。
神様のご計画は完璧で、神様は真実なお方だから。

でも、こんな風じゃなかったら、と思ってしまう自分がいる。
半袖を着て堂々としてたいし、薬を飲まずに電車に乗りたい。大きな音や声に怯えたくない。夜は薬を飲まずに眠りたい。自分を傷つけなければという意識から解放されたい。安定することが怖いと思いたくない。体や心の痛みにほっとする歪んだ心を捨てたい。死にたいなんて思わずに生きたい。

 

フラッシュバックすると色んなことを連鎖的に思い出す。
こんなことがあった、あんなことを言われた、あの時こう思った、辛い辛い辛いって、そんなの全部捨てたいのに、見たくないのに。

過去に執着して、いつまでもずるずるずるずる引きずって、まだ許せない、まだ赦せない、いつになったらあたしは過去を手放せるんだろう。

虐待のこと、いじめのこと、初めて腕を切ったあの日も、首吊りが失敗した日も、救急車の中、警察署の保護室医療保護入院、いなくなったあの人、届かなかった声、なんでなんでなんで、どうして、こんなはずじゃなかった。そう思ってしまう。

どうしても夢見てしまう。自分のanother storyがきっとどこかに存在していて、幸せに暮らしている自分がいる。そんなことを考えては、んなわけねえよな、アホらしいって首を振る。あたしの人生は今生きてるこのルートしかないのに。